日経平均株価の歴史
[日経平均株価の歴史]
こんにちは、イチローです。
今回は、日米の代表的な株価指数を
比較していきたいと思います。
[目次]
主な出来事
年 | 主な出来事 |
1953年 | スターリン・ショック |
1973年 | 第一次オイルショック |
1985年 | プラザ合意 |
1987年 | ブラックマンデー |
1989年 | 史上最高値を記録 |
1997年 | 山一証券自主廃業 |
2001年 | アメリカ同時多発テロ |
2009年 | バブル後最安値を記録 |
2011年 | 東日本大震災 |
2012年 | 第二次安倍内閣発足 |
2020年 | コロナショック |
2021年 | 日経平均株価3万円台回復 |
スターリン・ショックとは
スターリン・ショックとは、旧ソビエト連邦(現ロシア連邦)の最高指導者であったヨシフ・スターリンが亡くなったことを契機とする株式市場の大暴落を指す言葉です。
1950年代の日本国内では、第二次世界大戦後の
復興の真っ最中にありました。
朝鮮戦争による在日米軍からの武器の発注に伴うサービス需要が日本経済の上昇を後押ししました。
そんな中で起きたスターリンの死は、日本経済にも大きな打撃を与えました。
株価の下落率は10%でした。
第一次オイルショックとは
オイルショック(石油危機)は、1970年代に2度発生した経済危機です。そのため、第一次と第二次があります。
オイルショックは、1973年に第四次中東戦争、1979年にイラン革命による危機が原油価格の高騰を招き、世界経済が混乱し、家計にも影響を与え、物資が不足するなどの噂が広まり、日本各地でトイレットペーパーの買い占めの騒動が巻き起こりました。
プラザ合意とは
プラザ合意は、1985年9月22日にアメリカのニューヨークにあるプラザホテルで開かれた会議で、日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスの首脳陣が集まり、過度なドル高を是正することを目的としてドルの安定化に関する
合意のことです。
これにより、円高ドル安が急速に進みました。
ブラックマンデーとは
ブラックマンデーは、1987年10月19日に発生したニューヨーク株式市場の大暴落のことです。「暗黒の月曜日」とも呼ばれています。
ダウ平均株価はおよそ22%下落しました。
日本にも影響を与えてました。
ブラックマンデーの翌日の10月20日、日経平均株価は前日比14.9%下落し、終値が3836円でした。
日経平均株価の史上最高値を記録
1989年(平成元年)12月29日、日経平均株価は
史上最高値となる3万8915円を記録しました。
この時は年末最後の取引である「大納会」で、その日の終値が過去最高値を更新しました。
この頃は、「今後の日経平均株価は10万円を
超える」なんて言われていましたね。
山一證券、自主廃業
1997年11月24日、かつて日本4大証券会社(野村證券、大和證券、日興證券)のひとつといわれていた山一證券が自主廃業しました。
その原因は簿外債務(帳簿に乗らない債務)と
されています。
2001年9月11日、イスラム過激派組織アルカイダによってハイジャックされた旅客機が世界貿易センタービルに激突しました。
また、首都ワシントンにある国防総省やペンシルベニア州にも旅客機が墜落するなど、大惨事となり、多くの犠牲者が出ました。
この1連の事件は、アメリカ史上最悪のテロ事件となりました。
バブル後最安値を記録
2009年3月10日、日経平均株価はバブル後最安値となる7054円を記録しました。きっかけは、2008年に起きたリーマンショックです。
2008年9月、アメリカの投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、世界的な株価暴落が発生しました。低所得者向け住宅ローンが不良債権化し、「サブプライムローン問題」が起きました。その後、世界的な金融危機が起きました。
2011年3月11日、東北地方の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生しました。
この地震により大規模な津波、そして津波による原発事故が発生しました。
株価は地震直後から大幅に下落しました。
翌週14日には、売り注文が殺到し、終値は633円安の9620円でした。
15日には、原発事故による放射線汚染を懸念して株価が大幅に下落し、終値は1015円安の8605円でした。
第二次安倍内閣発足
2012年12月16日に行われた総選挙で民主党(当時)が大敗し、自民党が政権を取り戻しました。
26日に第二次安倍内閣が発足し、「アベノミクス」といわれる政策による功績を残しました。
コロナショック
2020年1月頃から世界的に新型コロナウィルスが蔓延しました。2月末から3月にかけて株価が暴落しました。
日経平均株価3万円回復
2021年2月、日経平均株価はおよそ30年ぶりに3万円を回復しました。
2021年はコロナショックから株価が回復した国が多くありました。